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| 5.16 - 8.15 | 法隆寺 | 夏安居 |
| 30 - 31 | 大神神社 | 綱越神社例祭(おんぱら祭) |
| 31 | 榛原・墨坂神社 | 夏祭り(七夕祭り) |
| 8.1 | 東大寺 | 勧進所・八幡殿講問(月例) |
| 1 | 春日大社 | 旬祭(月例) |
| 1 | 奈良豆比古神社 | 七夕祭 |
| 1 | 千光寺 | 滝祭り火渡り修行 |
| 1 | 当麻寺 | 陀羅尼助祈祷・護摩法会(月例) |
| 1 | 大神神社 | 月次祭(月例) |
| 1 | 金峯山寺 | 本地堂供養会・得度式 |
| 1 | 吉野神宮 | 茅の輪くぐり |
| 1 - 15 | 大安寺 | お盆聖霊会 |
| 2 | 東大寺 | 東南院・天皇殿講問(月例) |
| 2 | 喜光寺 | 縁日(月例) |
| 2 - 3 | 天川村 | 行者祭 |
| 4 | 西大寺 | 本願称徳天皇御忌 |
| 4 | 谷瀬の吊り橋 | 吊り橋まつり・揺れ太鼓 |
| 5 | 東大寺 | 念仏堂・俊乗堂、俊乗忌読経(月例) |
| 5 | 薬師寺 | 玄奘縁日(月例) |
| 6 | 東大寺 | 鑑真講式(戒壇院・千手堂 月例) |
| 6 | 東大寺 | 聖宝忌 |
| 6 | 朝護孫子寺 | 施餓鬼供養 |
| 7 | 東大寺 | 大仏さまお身拭い |
| 7 | 春日大社 | 七夕節句祭 |
| 7 | 朝護孫子寺 | 行者堂法要(月例) |
| 7 | 大和神社 | 戦艦大和みたま祭 |
| 7 | 大神神社 | 七夕祭 |
| 7 | 金峯山寺 | 本尊奉謝祭(月例) |
| 7 - 15 | 長弓寺 | 盂蘭盆会 |
| 8 | 東大寺 | 大仏殿・三十二相(月例) |
| 8 | 十輪院 | 護摩祈祷(月例) |
| 8 | 薬師寺 | 薬師縁日(月例) |
| 8 | 橿原神宮 | 献燈祭 |
| 8 - 10 | 薬師寺 | 暁天講座 |
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| 4.1 - 11.15 | 西大寺 | 愛染堂客殿特別公開 |
| 4.8 - 10.31 | 薬師寺 | 東塔内陣公開 |
| 5.15 - 8.31 | 室生寺 | 金堂特別拝観(十二神将) |
| 5.18 - 7.31 | 東大寺 | 俊乗堂特別開扉 |
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| 4.14 - 8.9 | 天理参考館 | メキシコ -古代文明の記憶- |
| 4.23 - 11.6 | 平城宮跡 | 衛士隊再現(雨天中止) あをによしパレード(雨天時は状況により) |
| 4.24 - 8.14 の土日祝日 |
平城宮跡 | まほろばステージ |
| 5.7 - 1.29 | 奈良教育大学 教育資料館 |
新薬師寺旧境内遺跡展 |
| 7.3 - 9.30 | 奈良市写真美術館 | 入江泰吉傑作選-前期- |
| 7.4 - 9.26 の日曜日 |
JR奈良駅より | ガイド付きツアー『 歴史を伝えるならまちを歩く 』 |
| 7.5 - 8.31 | 奈良市埋蔵文化財調査C | 夏季発掘調査速報展 「西大寺旧境内第25次の調査」 |
| 7.15 - 8.15 | 高取町 | 高取土佐街なみ「風鈴まつり」 |
| 7.17 - 9.5 | 橿考究附属博物館 | 速報展 「大和を掘る28 2009年度発掘調査速報展」 |
| 7.17 - 9.12 | 奈良県立美術館 | 館蔵品展 「大和百景~館蔵品で巡る奈良・大和路~」 |
| 7.17 - 9.26 | 奈良市内各地 | ライトアッププロムナード・なら2010 |
| 7.17 - 11.14 | 曽爾高原 | 曽爾高原山灯り |
| 7.21 - 9.26 | 奈良国立博物館 | 特別展「仏像修理100年」「至宝の仏像」 |
| 7.21 - 9.30 | 春日大社宝物殿 | 「春日大社の1300年展」 |
| 7.26 - 8.4 | 天理参考館 | 特別展関連イベント 「世界の民族衣装を着てみよう!」 |
| 7.31 | 野迫川村 | 平維盛の大祭 |
| 8.1 | 若草中・公民館周辺 | 幻燈会 |
| 8.1 | 東吉野村役場付近 | 清流まつりin高見川 |
| 8.5 - 8.14 | 奈良公園周辺 | なら燈花会 |
| 8.7 | 県立万葉文化館 | 七夕祭 |
| 8.7 - 9.30 | 唐古・鍵ミュージアム | 夏季ミニ展示「秦楽寺遺跡」 |
| 8.8 | 近鉄奈良駅より | 高円山の大文字火床見学登山 |
| 8.14 | 曽爾村福祉センター | ぬるべの郷夏祭り |
| 8.15 | 朝護孫子寺境内 | 燈火会 |
| 8.15 | 大宇陀ふれあい交流D | 阿騎野ふるさと夏祭り |
| 8.27 - 8.29 | 奈良市各地 | バサラ祭り |
| 8.20 - 8.27 | 平城宮跡会場 | 光と灯りのフェア |
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| 7.31 | 桜井市芝運動公園 | 綱越神社おんぱら祭 奉納花火大会 |
| 7.31 | 平維盛歴史の里 | 平維盛大祭 花火大会 |
| 8.4 | 宇陀川河畔水田地域 | 宇陀市はいばら花火大会 |
| 8月、5・6・19・20・26:27日 | 生駒山上遊園地 | 生駒山上遊園地 ファイアーリュージョン2010 |
| 8.7 | 大和郡山九条公園 | やまとの夏祭り花火大会 |
| 8.7 | 生駒市総合公園 | いこまどんどこまつり納涼花火大会 |
| 8.14 | 曽爾村ふれあいH | ぬるべの郷夏まつり |
| 8.15 | 吉野川大川橋上流 | 吉野川祭り納涼花火大会 |
| 8.15 | みつえ温泉周辺 | 御杖村ふるさと夏まつり |
| 8.15 | ふれあい交流ドーム | 阿騎野ふるさと夏まつり |
| 8.15 | 下北山スポーツ公園 | 下北山村夏祭り |
| 8.22 | 霊山寺 | 地蔵盆 施餓鬼供養・盆踊り花火大会 |
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| 7.31 | 奈良国立博物館 | 公開講座「仏像修理100年よもやま話」 |
| 7.31 | なら100年会館 | オペラ「遣唐使」、オペラプレセミナー1 「書き手の思い、演出家の思い、歌い手の思い」 |
| 8.8 | なら奈良館 | 世界遺産公開講座5「会津八一の金石文研究」 |
| 8.14 | 興福寺会館 | 仏教文化講座「維摩の世界21 -十大弟子- 」 連続講話「性相学入門」 |
| 8.19 | ふれあいプラザ | 古代学講座 「纏向遺跡にみる王権のコスモロジー」 |
| 8.21 | 奈良県新公会堂 | 天平茶論シンポジウム 「天平の茶とその時代、聖徳太子はお茶を飲んだか?」 |
| 8.22 | 奈良国立博物館 | サンデートーク「梵鐘銘と私」 |
| 8.24 - 8.26 | 奈良女子大学 | 奈良国立博物館夏季講座 「仏像修理100年と仏像研究の現在」 |
| 8.25 | 橿原市商工経済会館 | 支援シンポジウム 「朱雀(南)に学ぶ自然との共生」 |
| 8.28 | なら奈良館 | 平城遷都1300年祭シリーズ8「飛鳥の苑池」 |
| 8.28 | 奈良佐保短期大学 | 公開講座 「ならまち大冒険-ヨソモノから見た奈良の魅力」 |
| 8.28 | 帝塚山大学 | 市民大学講座第252回 「木簡から平城京の世界を読み解く -最近出土の事例から-」 |
| 8.28 | 大神神社 | 三輪山セミナー「三輪の争臣」 |
★ 「講座・イベント」では、定員・申し込み締切り等がある案件もございます
詳しくは 寺社・民俗行事予定2010、文化講座・イベント予定2010 をご覧ください
8月より三月堂再開
2010年07月31日
↑↑ 奈良情報ブログの杜
↑↑ 日本全国、祭・イベント写真関係ブログの杜
「解除会」法要の後、久々に東大寺境内をぶらぶらと、、、
8月1日から三月堂の拝観が再開されます
とは言っても、礼堂からの拝観となり、尊像も日光・月光菩薩、梵天・帝釈天、弁財天、
地蔵菩薩、不動明王像の7体
ただ、間近で拝見できるメリットがあります


内陣には足場が組まれ、執金剛神のお厨子が見えました
二月堂南側の納経所や、山手観音堂の向かいのお堂などでも工事が・・・

手水鉢の前にもみじの新芽

鐘楼付近も閑散としています
俊乗堂の特別公開は終わりますが、時間が早かったせいか誰もいません
こちらも殆んど入堂する人を見かけない念仏堂
平時は扉も開けられていないので、判りづらい事がありますが、隣の社務所に声をかければ入堂することができます(無料)

裏側の納骨堂には、第2次世界大戦の戦没者の遺骨・約3万柱が祀られていて、8月11日に法要があります
堂内には、丈六の立派なお地蔵さまがおられます
辛国社では鹿が鎮座

この時期、お寺ではハスをよく見ますが、なぜか多くは見かけません
戒壇院のハス


御霊さんの牡丹
2010年05月07日
↑↑ 奈良情報ブログの杜
↑↑ 日本全国、祭・イベント写真関係ブログの杜
奈良町にある御霊神社は牡丹の花が綺麗に咲いています
「新日月」


「島の藤」


「白翁殿」

「ハイヌーン」


もう暫くすると、芍薬も花を咲かせるようです
花-御霊神社編-
2010年04月23日
↑↑ 奈良情報ブログの杜
↑↑ 日本全国、祭・イベント写真関係ブログの杜
本殿脇の枝垂桜
奈良町にある御霊神社
桜は昨日の雨で散ってしまったかもしれません
ご祭神
本殿 井上皇后 他戸皇子 事代主命(えびす様)
東殿 早良親王 藤原大夫人 藤原広嗣
西殿 伊豫親王 橘逸勢 文屋田宮麿
いわゆる、八所御霊神を奉祀する神社である (『奈良市史』 社寺編)
10月13日に例祭があり、お渡りがあります
昨年拝見いたしました 御霊神社 お渡り(2009年10月30日投稿)
ここは「縁結び」の神様としても知られます
奈良町自体、結構若い女性の方が多いですが、お参りされる方が多いですね
本殿西脇の牡丹(芍薬?)



この他にも固有の名を持った牡丹・芍薬が植えられていますが、こちらはまだ蕾
開花は5月から6月にかけてでしょうか、、、
「祓戸社」にかかる八重桜
大輪の見事な花、手毬のように感じます


花 - 西大寺編 -
2010年04月21日
↑↑ 奈良情報ブログの杜
↑↑ 日本全国、祭・イベント写真関係ブログの杜
南門からの本堂
御衣黄(ぎょいこう)桜を見に西大寺へ
西大寺は孝謙上皇により発願され、建立されたお寺
父・聖武天皇の東大寺に対抗して・・・、ってハナシもありますね


ここは真言律宗、法要も密教要素が強いわけですが、10月に大祭があります
3月9日の「初午」も拝見したかったのですが、この日は生憎の雨で断念いたしました
御衣黄桜は南門前にあります



こちらは華蔵院前の八重桜


四王堂前の藤
こちらも上のほうから徐々に咲き始めています

GWには満開になるだろうツツジ

愛染堂前の菩提樹は6月上旬に開花
まだ新芽が出始めです

愛染堂の獅子瓦
両方とも左を向いています


本堂のものは、右側のものがありません
合掌・・・
大仏殿周辺の桜
2010年04月05日
↑↑ 奈良情報ブログの杜
↑↑ 日本全国、祭・イベント写真関係ブログの杜
菩提僊那僧正御遠忌法要が終わり、天皇殿が公開されるまで時間があったので、寺域の桜を眺めにうろうろと、、、、、
天気もよく、春爛漫って感じでしたね
大仏殿院の桜



大湯屋前の桜
ここの桜は、花弁がやや大きめに感じます
また、同じ枝に白色の花と、ピンクがさした花があり、ワタクシ的にはここの桜が一番ですね



鐘楼の丘、念仏堂前の桜


旧東南院の枝垂桜、公開は今日だけなので、満開の頃には一般者は拝見できません



届きました
2010年03月18日
↑↑ 奈良情報ブログの杜
↑↑ 日本全国、祭・イベント写真関係ブログの杜
以前紹介した、「東大寺友の会」
1日に会費を振込み、12日に会員証を始め、季刊や手帳などが届きました
ここの年度は4月1日~3月31日
当然の事ながら、来年度から、とお願いしたわけですが、今年度分も同封されていました
3週間といえど、あたたかいお気遣いですな・・・
で、早速フリーパスを使用させていただきました
三月堂前の木も新芽が芽吹いています

現状のまま拝観できるのは5月17日まで、8月に再開しても七体の尊像だけで、不空羂索観音さまを始め、一部の尊像は三月堂に帰らず、そのまま文化センターに収蔵されてしまう、、、という話もあります
これから約2ヶ月、特に4月からは7時半に開門するので、お参りしてから、というパターンが増えそうです
一般では拝見できませんが、内陣東西の扉の柱に古い落書きがあります
殆んど開閉しませんので、お寺の方も見た方は少ないのかな・・・
東側扉北柱
久安五年四月十四日自千日花奉始畢也
東側扉南柱
仁平元年十二月卅日
平治元年七月十三日千日花奉始
西側扉北柱
始自長承元年十一月廿八日千日不断花也
保延元年八月廿三日千日満但結願九月十日畢
『東大寺物語』 (狭川普文著 (株)フジタ 1985年) より
1132年から1159年までの事柄で、現在では行われていない「花供」「当行」と呼ばれる行を示しているとの事
比叡山の千日回峰行のようなものだそうです
この本、ハード・ソフトの両面から描かれており好きな書籍なのですが、残念ながら絶版になっています


戒壇院には、社参や外から山門の獅子瓦を撮りに来たりはしていましたが、入るのは7年ぶりくらいですかね、、、
院内の砂地も竹を使って綺麗にされています
堂内では、確か正面からしか拝観できなかったように記憶していますが、須弥壇の周りを360度開放していました
四隅の四天王像も間近で拝見できました


山門には、愛嬌のある獅子が乗ってます、、、、、
二月堂周辺の花
2010年03月06日
↑↑ 奈良情報ブログの杜
↑↑ 日本全国、祭・イベント写真関係ブログの杜
参道横石灯籠横の馬酔木
3月3日、「お松明」までの時間まで、大湯屋から不動堂までをぶらぶらと、、、
今は梅が盛りですが、ほかにも綺麗な花が咲いてます
参籠宿所東の土手、ここの梅は今がピークです


ここの梅には鶯がよく来ています
ただ、まだ鳴き声は聞いていません・・・・・
上手にある白梅はこれからが見ごろを迎えます
中性院前の沈丁花
大湯屋辺りは人通りはまばらですが、桜が綺麗な場所ですね
東側の梅、ここも鶯がよく来ます

四月堂横の石段脇の馬酔木

上之坊への石段左側にも馬酔木の大木があります
開山堂の椿


これを「良弁椿(糊こぼし)」と間違われる方もたまにいるとか、四月堂で手を合わせた後、職員さんが丁寧に説明してくださいました
「良弁椿」はお堂の横にあります

四月堂の東か北の縁側で「糊こぼし」が水盤に入れられています

三月堂の東、不動堂前で

花ではありませんが、、、

飯道社横の梅

大仏殿付近
2009年11月25日
↑↑ 奈良情報ブログの杜
↑↑ 日本全国、祭・イベント写真関係ブログの杜
11月23日、雨上がりの朝に東大寺へ
天気予報では朝から晴れマークが付いていましたが、お天道さまは姿を見せず
雨後の晴天の朝、って結構紅葉が映えるんですがねぇ・・・
逆に、陽射しはありませんでしたが、いいように薄い霧がかかっていました
鏡池

講堂跡、大仏池畔辺りから


二月堂参詣道、大湯屋付近から

大湯屋前のイチョウ、大仏池のイチョウに比べると、こちらの方が少し青い部分もあり



山麓にある二月堂
背後には、もやがかかって、雨の日とは違った表情でした


職員の駐車場から
12日の籠松明の日以外だったら、ここから松明上堂を望遠で狙うのもいいかも、、、
浮御堂北側のカエデ


大仏池のほとり、正倉院の事務所横辺りはイチョウが色付きの最盛期、落葉も含めていい撮影スポットになっています
ただですな、こういうのはホント止めてほしい

場所取りだかなんだか知りませんが、、、、、
それと、カメラを構えていると、どうしても通行の邪魔をしてしまうことがあります
(道の真ん中でではないですよ、例えば上から4・5番目の写真のような場合など)
多くの場合、歩を止めて待って下さったりします
ワタクシも、なるべく気を遣っていただかぬよう、近寄っている時はファインダーを構えないようにしていますが、対象が動くものはタイミングがあり、やむを得ず、ってこともあります
当然の事ながら、逆に待ったり、後ろを通ったりしますが、、、
シチュエーションにもよりますが、何故、年配のカメラマンは、お構いなし、って割合が高いんでしょうね・・・?
悪意すら感じることもしばしば
それと待っていても、「すみません」「ありがとう」などとも口にしない
こういった輩、
無法三脚軍団同様の、”におい” がしますな、、、、、
二月堂仏餉屋の瓦
2009年11月18日
↑↑ 奈良情報ブログの杜
↑↑ 日本全国、祭・イベント写真関係ブログの杜
二月堂の参籠所、食堂の西側に湯屋と並んで仏餉屋(ぶっしょうや、ぶっしょうのや)と呼ばれる建物があります
湯屋と同様に修二会用の建物で、行法中に諸仏の供物をととのえる所で、かつては壇供を撞いたこともあったそうです
で、気になったのが、付近とここの軒丸瓦

一番左の瓦は、「大佛殿廻廊」となっているんですね
建物自体は鎌倉末期、とされていますが、所々は後補もありますから、そちらから転用したものなのでしょう
他にも、

この塀の、左右に続く軒丸瓦はけっこうマチマチです

神社仏閣の屋根は緩やかなカーブになっています
これには綺麗に見せる視覚的な事と、雨雪を早く落下させる実用的な面があります
上の勾配を急にして、早く加速度をつけ落とす方法
「サイクロイド曲線」と呼ばれる最速落下曲線
神社仏閣の屋根はこれに近いといいます
物理的な数値もない時代、古代建築はすごい智慧の結晶だと感じますね
阿修羅さんは3時間待ち
2009年11月11日
↑↑ 奈良情報ブログの杜
↑↑ 日本全国、祭・イベント写真関係ブログの杜
纏向遺跡から大型建物遺構が発見され、邪馬台国論争ともどもこの週末はアツくなりそうな感がしますが・・・
奈良市内では、正倉院展と阿修羅展で、かなりの人出になっています
その勢いもそろそろ落ち着くかと、9日に半休で興福寺に向かいました
ところが落ち着くどころか、平日にも係わらず仮金堂は180分、北円堂でも30分待ちという
係りの人に伺うと、平日でもこのような状態が続いていると、、、
で、整理券も配っていないから待ち続けなきゃいけない
これって、ホントにムダだと思いますね
遠くからこの為に来た人って、帰るに帰れないし
先週、藤ノ木古墳の石室公開では、1時間ごとに色の違う整理券を配布した(らしい)
(ワタクシが行った時は必要ありませんでしたが・・・)
官でさえ、このような対応をしているのにねぇ・・・・・
遷都1300年祭では、かなりの来場者が予想されます
興福寺に限らず、どうしたらストレス溜めずに拝観してもらえるか真剣に考えてほしいですな
まあ、正倉院展が終われば、多少は緩和されることに期待して
せっかく来たんだし、人の少ない所を廻りました

南円堂東側にある「額塚」
昔、南大門の門前に大穴があき、大水が噴出して洪水となった
占師によると、南大門に「月輪山」という額がかかっている
月輪は水に縁のあるものだから、それを取りおろせばよいという
その通りにするとたちまち洪水がおさまった
その額の埋められたのがこの塚だという
『奈良県史』 民俗(下) より
南大門跡では7月より発掘調査が行われていて、9月27日には現地説明会がありました
興福寺南大門
構造と規模
南大門は興福寺の正門にあたり、すぐ南側の三条大路に開いています
焼失以前の南大門は桁行五間・梁間二間(東西約23m、南北約8m)の礎石建物
で、古絵図からは重層門とわかりました
その規模・構造は創建時の旧規を保ち、再建のたびに踏襲されたと考えられます
また、門の両端には金剛力士像があり、16世紀にこの地を訪れたイエズス会の宣
教師がその偉観を書き記すほどでした
(『十六・十七世紀イエズス会日本報告書』第Ⅲ期第2巻)
焼失と再建
創建以来、南大門は中金堂院と同様に7度焼失しました
最後の焼失は享保2(1717)年で、以後再建されることはありませんでしたが、享保
焼失後には「おもだか門」と呼ばれる質素な門が建っていました
(『大和名所図会』
鉄柵に貼られた報告書より
この日の様子




法隆寺の七不思議
2009年11月09日
↑↑ 奈良情報ブログの杜
↑↑ 日本全国、祭・イベント写真関係ブログの杜
よく言われる「七不思議」
図書やHPで語られていますが、実際に目にすることがなかったので写真を撮ってきました
参考図書 『法隆寺の謎』 (高田良信著 1998年 小学館)
順序はバラバラです
1.五重塔の九輪に四本の鎌がある

近在の人々の伝承では、この大鎌はひとりでに鎌首が上下するという
上がっていればその年は豊作、下がっていれば凶作
雷は魔物との考えがあり、刃物を置けば魔物も近寄らないと考えた
避雷針のため、とも言われるようですがあまり意味があるとは・・・
2.境内に三つの伏蔵がある
ひとつは、金堂内陣の北東の隅
ひとつは西院伽藍・経蔵の中の大石の下

もうひとつは中門の南西、大湯屋表門の前

この大湯屋前からは、防災工事の際、発掘調査により蓋とみられる大石が発見された、
そうです
『太子伝私記』の中に
物部守屋討伐で使った太刀・甲冑、金銀銅などが納められている
とあり、財政難の時には財宝をもって再興を行なえばよい、と伝承があるそう
7日に興福寺で中金堂の地鎮鎮壇法要がありましたが、こういった地鎮祭の意味で
行われているのでしょう
信仰上の理由から掘り起こされることは無いのでしょうが、何かある事は間違いない
3.南大門前の「鯛石」

南大門の石段前に、このような踏み石があります
大和一円が水害にあったとき、水が南大門まで押し寄せても境内には入らなかった、
という
そこで魚の形をした石を沿えて、魚もここまで泳いできた事を示す
4.伽藍の建物には蜘蛛の巣がはらない
5.雀も伽藍の堂塔にフンをかけない
6.地面に雨だれの穴があかない
ところどころ蜘蛛の巣はあるし、南大門の軒先にはハトの巣もありました
7.夢殿でお水取りという行事がある
夢殿内の礼盤(僧侶の座る畳座)の下に正方形の板があり、その裏を毎年陽に当てる
と水分が出てくるという
かつては、旧暦1月12日にこれを行ない、その水気で豊作・凶作を占じた
伝承では、礼盤下方には井戸があると言われるが、定かでない、、、
他にも、
因可池に片目の蛙がいる
中門の入り口が二つある
不明門と不閉門がある
五重塔の護符
などなど、、、、、
因可池は東大門と東院の間、若草伽藍の北にある池
太子が学問をされていた時に因可池の蛙があまりにけたたましく鳴くので、
”静かにせよ”
と筆の先で片目を突くと、この池の蛙は全て片目がつぶれ、その子孫まで片目
になった、、、
なんだそうな・・・
太子の伝承からすると、騒々しいから、といって危害を加えるとは思いませんが・・・
中門の入り口、は梅原猛氏の、法隆寺は怨霊鎮魂の寺、の根拠のひとつ
高田良信師は
主として太子信仰上の説話が中心であり、現実的なものではない
太子の建立された伽藍をいかなる困難があっても護っていかねばならない、という
寺僧や信者たちの真情から生まれたものであることを知っていただきたい
と締められています
法隆寺に限らず、こういった謎はどこにもあります
いずれにしても、このような現象は、心情を表すものであったり、形を変えて伝えられて
いたりして、突き詰めていくのはおもしろいですね
藤ノ木古墳から法隆寺
2009年11月07日
↑↑ 奈良情報ブログの杜
↑↑ 日本全国、祭・イベント写真関係ブログの杜
南大門から西院伽藍
吉田寺から約15分、藤ノ木古墳では2日間石室内部が公開されます
8時半から整理券配布、という事でしたので、残ってないだろう、、、と考えていましたが、順番待ちすることなくすんなりと入れました
時刻は13時過ぎ、中で係の方から簡単な説明があり(橿考研かTVで拝見したことがあったような・・・)、質問にも答えていただきました

藤ノ木古墳の被葬者については、穴穂部皇子と宅部皇子の合葬説が有力ですが、法隆寺の文書には祟峻天皇の陵と記すものもあるようで、、、
(11月3日の祟峻天皇・山背大兄王忌には藤ノ木古墳参拝があります)
以前、この地には宝積寺という尼寺があり、石室からは後世の土器(高杯など)も発見されている事から、ここの尼さんがお祀りしていたのだと考えられているとか
石室内部は、春と秋に特別公開があるそうです
藤ノ木古墳から法隆寺に向かう途中で、コスモスが満開

この時期、法隆寺では特別公開が重なっており、まあこの為に来たのですが・・・
上御堂公開(11月1日~11月3日)
法隆寺秘宝展 (9月11日~11月30日)
夢殿・救世観音開扉 (10月22日~11月23日)
修学旅行のピークは過ぎているとはいえ、結構な人
南大門横、地蔵院の獅子瓦
獅子とウサギ、というのも珍しい、、、どちらか後補なんでしょうけど


獅子のおどけた表情がおもしろい
今更ですが・・・


天平木の塑像ですが、左の吽形の胸部より下は木彫
西院伽藍では、大講堂の修理が行われていて、お堂は足場とテントで覆われています
修理は2年がかりでされるとか
上御堂に入るのは今回が初めてで、写真では見ているけれどなんかワクワクします

本尊は釈迦如来で、脇侍に普賢・文殊菩薩の三尊形式で、四天王の守護します
普賢さまは如意棒を持つ珍しいもの
四天王像に注目すると、
金堂 飛鳥・白鳳期
大講堂 藤原期
上御堂 室町期
それぞれ作製期が異なり、特徴を感じることができます
金堂の四天王は静的なものだし、上御堂のものは彩色も残っていて文様も確認でき、お顔にも着色(四神の青・白・赤・黒)がされています
ただ、広目天像は残っていませんが・・・
これもよくあるアングル、経蔵下から
但し、回廊のこちら側を歩く人は殆んどいません

講堂前から


五重塔を見上げると・・・
金堂・上層の支柱にからむ龍
支柱は、当初のものではなく、元禄年間の修理で付け加えられたもの
南西 南東



北西
下層の支柱

時折当たる日差しは秋とはいえ、まだ強い

空の表情がよかったので、建造物をシルエットにして





大宝蔵殿から東大門の途中(だったと思う・・・)の獅子瓦


こちらは聖徳会館あたりのもの


東院横、福生院の獅子瓦


獅子も阿吽ありますが、吽形も阿形に見える、、、
帰りは南大門に続く土塀沿いに

こちらを歩く人は本当に少ない
今では綺麗に舗装されていますが、以前は砂利道で風情のある道だった様
吉田寺 大日如来公開
2009年11月06日
↑↑ 奈良情報ブログの杜
↑↑ 日本全国、祭・イベント写真関係ブログの杜
多宝塔の三面が開扉され、中には入れませんが壇上から拝観する事ができます
先週の連休は、あちこちで行事や公開など目白押しでしたが2日に斑鳩を初めて歩きました
JR法隆寺駅から、吉田寺・藤ノ木古墳・法隆寺・法輪寺、、、
の予定でしたが、法隆寺のでギブアップ、やっぱ自転車にするべきでした・・・
吉田寺(きちでんじ)、別名・ぽっくり寺
『恵心院源信僧都行実』によると、吉田寺は天智天皇の勅建で妹の間人皇女
(孝徳天皇后)の陵寺であったところに、永延2(988)年に恵心僧都がこの地に来遊し、
生身弥陀の出現を感じ一寺を創建したという
『斑鳩町史』 より
本堂西側、「間人内親王」の陵と伝えられる墳丘

『日本書紀』天智6年2月条から、高取町の越智岡上陵に母君の皇極帝と合葬された、とあります
また、ぽっくり寺の由来は、
恵心僧都が、母の臨終に際し、祈願をした衣服を掛けると、何の苦しみもなく往生した
事によると言います
この日は低気圧の接近で風が強い日でしたが、時折のぞく陽光が何ともいえません

山門からの参道

9月1日に、最大の行事である「放生会」が行われます
放生池には魚類、境内では鳩が放たれるそうで、一度は拝見したい行事

本堂の獅子瓦
本堂の創建は文久3(1863)年、幕末ですな、、、
この獅子はもっと新しそう・・・


本尊の阿弥陀如来は藤原末期の金箔の丈六仏で、県下最大といいます
また光背も金箔が施され、千仏が彫られていますが、シンプルに感じます
他に、木彫の恵心僧都坐像が脇壇に置かれています
気になったのが、脇壇の尊像と曼荼羅(当麻曼荼羅の写本?)
尊像はお地蔵さまだそうで、ご住職によると、近くにあった地蔵堂のものを移されたそうで、結構増長があり、几帳で腰から上は拝見できませんでした
多宝塔

大日如来坐像は、恵心僧都の父君・卜部正親(うらべまさちか)公の菩提追善とされ、9月1日~2日と11月1日~3日の5日間のみ公開
セキュリティは大丈夫?
鐘楼下に置かれた鬼瓦

朝の東大寺点描
2009年10月28日
↑↑ 奈良情報ブログの杜
↑↑ 日本全国、祭・イベント写真関係ブログの杜
18日に、二月堂講問を拝聴しに行った時のもの
朝陽が綺麗に射していました


本坊付近で
出仕


二月堂での法要後、遠敷社上の観音堂へ

帰坊
二月堂では、西局から外陣を格子越しに見られます
修二会の期間中は、五体投地やだったん松明が投げ倒されるために何も置かれませんが、普段は須弥壇・講座などで荘厳されています
また、外陣の正面上に大型の懸仏が懸けられていて、
二月堂御正体(桂昌院奉納) 元禄12(1699)年
二月堂内陣に懸けられた大型の懸仏
鏡板上に岩上に立つ銅造の十一面観音立像を丸彫りで表している
十一面観音像の像内には、願文や結縁交名とみられる墨書紙片や木札などが
頭部より納入されている
裏面墨書銘
桂昌院殿本庄氏宗氏尼公
二月堂御正体
元禄十二(己卯)歳正月二十五日
願主 大勧進公慶
大仏師 左京朝慶法橋
局内の説明書き より
桂昌院は徳川五代将軍綱吉の生母
「忠臣蔵」などでは、「生類憐みの令」など、わがままな悪女的に表現されていますが、全国の寺社には多大な寄進や奉納をした、という側面があります
その寄進がなければ、存続できなかったところもあったとか、、、
柿は奈良の名産
法隆寺と柿、は正岡子規の俳句からイメージが結びつきますが、当然あちこちにもあるわけで、、、

二月堂をバックに(春は桜)、はよくある構図ですが、大仏殿をバックに
(これもままありますな・・・)
ピントを前に置くか、後方に置くか、、、

公慶が通った、とされる「公慶道」脇に植林された杉
大仏殿の次代の梁にと、公慶自身が植えたそうで、樹齢約300年
NHKの番組で紹介されていたので、訪れる人もあるかと思いきや・・・
雨の東大寺点描
2009年10月27日
↑↑ 奈良情報ブログの杜
↑↑ 日本全国、祭・イベント写真関係ブログの杜
雨の日は外に出る気はしないのですが、春日山麓がいい様にガスってましたので、さらさ女史の影響もあり、半休後に東大寺に直行いたしました
おまけにこの日は、台風が通過しようって時、、、
一番お目にかかりたいのは、二月堂南広場で夕立後に陽が当たっている様子
今では、一昔前のような夕立も少ないですから、タイミングが難しい

二月堂では、常夜燈のカサが外されていました
でも、電球も風が強けりゃお堂に当たって割れてしまうのでは・・・?
大仏殿東の「ねこ段」
雨にぬれると、石の色も強調されコントラストがつきます

俊乗堂の獅子瓦と閼伽井屋の鵜

念仏堂の屋根越しに春日山を、、、

シカの毛も鮮やかな夏色から冬支度


この辺りも普通だと人通りが多く、時間待ちが長いのですが人もシカもマバラで色々試すことができました
二月堂欄干より
心霊写真でよく使われたパターン

霧とかモヤではなく、露出オーバーにすると興福寺の塔が消えます

参籠所・食堂横のざくろ

雨のせいか、さわがにが芝生まで上っていました
逃げてゆく姿を撮影し、干上がるといけないので川に戻してあげました
このさわがに、結構いるもんなんですね
「入江アングル」でおなじみ

大仏殿から春日山麓

浮御堂
これから紅葉がきれいになりますが、雨の紅葉、ってのも情緒がありそう、、、
阿修羅帰還?
2009年10月10日
↑↑ 奈良情報ブログの杜
↑↑ 日本全国、祭・イベント写真関係ブログの杜

10月5日
この日は、東大寺で勧進所及び重源堂で寺役、手向山神社の転害会が行われます
8時より勧進所で法要後、重源堂に移動される御住職と寺役での理趣経を拝聴してから手向山神社での神事を、という予定でしたが、県庁前で登大路から興福寺に入る数台のトラックを発見、、、
トラックの後ろには「精密機械・・・」の文字
もしかして・・・と思い、盗撮風に垣根から見ていると作業が始まりました

これだよね?
特別照明による荘厳、と言ったって照明の什器だけでトラック5・6台もかからんでしょう
学芸員の方も含めて、まず準備運動から始まり、まずは小さめのコンテナから、、、
中は「五部浄」さん?


台車に乗ったコンテナが次々と仮金堂に搬入されます


中は八部衆・十大弟子の尊像に間違いないと思いますが、寝かされた状態で運ばれるんですね
17日からの「お堂で見る阿修羅」展、
お堂に戻るのは100数年ぶりとかで、ある意味魅力的なシチュエーションではありますが疑問符もつきます
ひとつは拝観料
この時期は北円堂も公開されますが、仮金堂と合わせて1500円・・・割高感が否めない
通常、国宝館と北円堂では確か800円、、、
1200円までが妥当じゃないかと思うんですがねぇ・・・
中金堂再建の資金が思うように調達できていない事もあるんじゃないですかね、、、
とは「蔵武D」マスターの話
ふたつめは堂内の様子
案内では八部衆・十大弟子、特別照明による荘厳、とあります
春に放映されたBS-TBSでの番組
興福寺曼荼羅の西金堂をCGで再現、というのがありましたが、この局には珍しく説得力のある内容でした
八部衆・十大弟子の表情は、婆羅門が華原磬(かげんけい)を鳴らす音が響く中、
金剛頂最勝王経の中の ”懺悔” を聞き入っているもの
特に阿修羅像は憤怒・怒髪、というのが多い中で興福寺像は異色な造形です
華原磬(かげんけい)は? 婆羅門は?
実際にはまだ公開されていませんので、どうなるかわかりませんが、あの番組では興福寺も協力して視聴者も結構いるはず
東京・九州の特別展では、国宝館では見られない阿修羅像の後姿が見られる、という事が好評でしたが、あまりに ”美術品” 的に捉えすぎる部分が多いような気がします
今回はお堂の中
尊像本来の姿を映す、事をお寺としてしないようではどうか?と感じます
東大寺本坊 理源上人坐像公開
2009年08月07日
↑↑ 奈良情報ブログの杜
↑↑ 日本全国、祭・イベント写真関係ブログの杜
8月6日は東大寺で「聖宝忌」があります
今年は理源大師聖宝僧正の1100年御忌にあたり、大師坐像の特別参拝がありました
理源大師聖宝僧正
832年~909年
東大寺東南院初代院主、醍醐寺(京都)開山、大峰山中興の祖
実はワタクシそのような事があるのに気づかず、前日にホームページでたまたま知った次第でございます
(行事関係の確認はしますが、細部までチェックしないもんで・・・)
となれば、行っておかないと・・・
って事で、外出を利用し休憩時間をあてて、、、役所でいう中抜けではないですよ・・・
場所は、本坊内天皇殿北側のお堂

お堂の中には理源大師聖宝僧正の坐像の厨子があり、脇壇に立派な阿弥陀如来坐像がおられます
職員の方に伺うと、平安期のもので、関東のあるお寺からお預かりしているとの事
大師像は彩色が残り、穏やかな表情をされています
また、この日は、餅飯殿の大師堂から、大師椅像も特別に出張されていました
東大寺・旧東南院(現本坊)
( 東大寺・案内板より抜粋 )
貞観17(875)年10月、理源大師聖宝僧正が薬師堂を創建し、その後延喜4(904)年
佐伯院(香積寺)を移し寺観が整備せられた
寺地が大仏殿の東南に位置するところから東南院と称せられ、三論宗と真言宗の
二宗兼学の院家となり・・・・・
白河上皇の御幸以来、天皇・上皇の御所となり、南都御所とも言われた
明治8年2月、寺内改革により東大寺本坊と改称し、一山を統轄することに成った
白蛇川の由来
本坊北側を流れる川
若草山より手向山八幡宮より流れ出しています
理源大師が大峰山に登山した時、参詣する人の安全のため、洞川にすむ白蛇を封じ
込めた
ある夜、書斎で書見をしていると、鋭い眼光をした一匹の白蛇があらわれ、灯火を毒液
で滴し、大師にとびかかろうとした
大師は白蛇の眼をにらみ、
洞川より登山を封ぜし怨み、今自分を呪うならば、いよいよきびしく封じ
この上帰山できざるようになすべし、故に一刻も早く洞川に帰るべし
と諭されました
ところが数日後、毎夜大師ののもとに姿をあらわすので、白蛇の心を憐れみ、洞川に
弁財天の祠をつくり、餅飯殿にも弁財天を祭祀した
汝を厳に戒めこらすべきはずなるも、大峰山の霊地に住まいせしものなれ
ば、この川に放生しあたえん
と、東南院北の川に放った
参考 『誰も知らない東大寺』(筒井寛秀著 2006年 小学館)
この伝承から「白蛇川」と呼ばれているそうです

二月堂にも参詣しました

9日の「およく」の案内
手水は身を清めるためのもの
この手水や参拝する作法は、簡略化されているものと聞きます
ただねぇ、手杓に直接口をつける人が多い
ガイドのついていない外国人は仕方ないにしても、年配の方が多いのには如何かと存じる!

三月堂の床下
「人も暑けりゃ、鹿だって暑いわ!」、と言ってるような・・・

草を求めて、結構上まで
東大寺 念仏堂
2009年08月04日
↑↑ 奈良情報ブログの杜
↑↑ 日本全国、祭・イベント写真関係ブログの杜
東大寺の ” 鐘楼の丘 ” と呼ばれる一角に建つお堂

お堂は時代の建立で、地蔵菩薩坐像が安置されています
普段は閉められていますが、横の庫裏でお願いすると、堂内を拝観することができます
ワタクシもHPで知り、早速拝見させていただきました
「奈良太郎」が一般的ですが、「奈良次郎」とも呼ばれる国宝の梵鐘
内側はこんな具合です
「道成寺」ではありませんが、下は落ちてきそうでコワイ・・・

この梵鐘にちなむお話が、
『東大寺史へのいざない』 (堀川春峰著、東大寺史研究所編 2004年 昭和堂 )
にあります
この本によると、
昭和13年の日中戦争での最中、県内出身者からも戦死者が出始め、初め納めていた
お寺では収容しきれなくなったために、東大寺で祀る事になった
納められたのが念仏堂で、地蔵菩薩の後ろに、ひな壇のようなものを作り、そこに一列
に並べておき、「一週間ほど」という指示で、堀川氏と北河原公展師がここに泊り込む事
になった
最初の朝、一直線に置かれていたはずの遺骨箱が、波打つようにずれていたそうです
元通りに直したところ、翌日も同様になっていた
原因は、「奈良太郎」の音だったそうです
以下、抜粋
大きな鐘だけあって、音に力があったんですなあ、しかも余韻が長い
軽い桐の遺骨箱はその音の波に押されてずるずると動いたんですわ
音の波の微妙な当たり具合で、箱が波打ったのだと思われます
えらいもんですなあ、あの大鐘の底力を見せつけられた思いでした
この本には他に、三月堂本尊・不空羂索観音の銀仏盗難事件とか、戦時中の修二会の話など、裏話的な事もあって結構面白いです
これらの話は、『誰も知らない東大寺』 ( 筒井寛秀著 2006年 小学館 )
では、さらに詳しく書かれています
地蔵菩薩坐像ですが、鎌倉中期の作で、大仏師・康清によるもの
この像はその像底や像内墨書によって嘉順3(1237)年の四月八日から十一月
二十七日にかけて、大仏師法橋康清が造ったことが明らかになるものである
それとともに像内の別な墨書によれば、金剛仏子昇願が願主となり、大勧進上人
(重源)や金剛仏子慶正をはじめ、作者康清の祖父にあたる運慶や、またその
父康勝などの追福が祈願されていることが知れる
『奈良市史』 美術編
まず、その大きさに圧倒されますね
丈六のお地蔵さまは他に、福智院のお地蔵さまがありますが、ここの尊像は当初白く塗られていたのでしょうね
胸元には瓔珞が掛けられています
8月11日は10時より盂蘭盆法要が行なわれます
この日は戦没者のご遺族の方も参列されるそうですが、高齢化により、年々減っているそうです
東大寺 四月堂
2009年05月19日
↑↑ 奈良情報ブログの杜
↑↑ 日本全国、祭・イベント写真関係ブログの杜
普段は立ち寄らないお堂ですが、久しぶりに中に入れていただきました
この辺の人の流れは、三月堂から二月堂(または逆)、たまに開山堂前で入り口近くに置かれているお松明を見る、といったパターンで、この四月堂にお参りする人はごく僅かです
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東大寺三昧堂(四月堂)
三昧堂は俗に四月堂と呼ばれ、現在は千手観音菩薩像が本尊となっているが、かつ
ては普賢菩薩像を本尊としたため、普賢堂とも呼ばれた。
平安後期の記録『東大寺要録』によれば、治安元年(1021年)に、仁仙(じんせん)
大法師と助慶(じょけい)上人が創建し、傍らに僧坊を造って法華三昧行を修したという
これは『法華経』普賢菩薩勧発品の所説に依っており、本堂内左脇厨子に安置されて
いる普賢菩薩騎象像がそのときの本尊だったと考えられる。
なお現在のお堂は延宝9年(1681年)の再建で、本尊の千手観音は明治36年、すでに
客仏として安置されていた法華堂からここに移された。
堂前の説明書きより
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「法華三昧」とは、天台宗の四種三昧のひとつ、半行半坐 (本尊の周りを歩く行と、座る行)のうち、『法華経』に基づき、37日間(または21日)行われるもの
”三昧” というと、どっぷりつかっている、とか、好き放題、といったイメージがありますが、仏教では、精神状態が深まりきった状態を指すそうです
また、再建時はに鎌倉・室町期の古材を用いた、とされます
中に入ると、頭が天井につくほどの大きな千手観音菩薩がおられます
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「千手千眼観自在菩薩秘密法経」の儀軌による四十二臂の姿で、桧の一本造でその堂々
として肉太の体躯は、貞観期の特徴をよくそなえている。
今の持物などは後補であるし、彩色も剥落している部分が多いが、化仏・脇手などは当初
のものである。
「東大寺」新装版 東大寺編 学生社 より
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儀軌、とは儀式軌則の事、細かく決められています
今は白っぽくなっていますが、元は赤く塗られていたのでしょうか、、、
この御本尊さまには、肉感的な体と、不釣合いとも思える四十二臂に圧倒されます
やや離れて見ると、上体と下半身のバランスが合わず、(失礼ながら、短足に見える、、、
合掌)元は、台座が高く、見上げるようにするという事を前提にして作製されたのかも・・・
また、厨子に収められた旧本尊の普賢菩薩像は、普段は閉扉されていますが、参拝者がいると開いて見せていただけます
この普賢菩薩さま、結構きれいなお姿です
象と菩薩さま本体とのバランスが取れていないのは、製作時期が違うため
(象は元亀(1570年ころ)、ご本体は平安期)
正面から見ると、向きが少しずれていたような、、、、、
安置像
本尊 十一面観音菩薩立像
普賢菩薩騎象像
阿弥陀如来坐像
薬師如来立像
弘法大師像
阿弥陀如来立像
”自由にお持ち帰りください” とあったのでいただいて帰りました







